2010年04月27日

教育や指導のスタイルというものは 本来、使い分けるもの

よく教育の相談を受けます。

「どのように部下を指導教育していけばいいか解らない」と
その悩みは、
「部下に対し、あれをやれ、これをやれとすべて指示していいものだろうか」
「部下に対し、よく「ほめて育てろ」や「コーチングをしろ」というが・・・」

自分の態度をどうすればいいのか、解らないと。


「相手次第」


私は自分の子供を連れて、よくプールに行きます。
(家族のなかでは、「やだスイミング」と呼ばれています。)

長男は、この春から小学4年生、
クロールで、どれだけでも泳ぐことができます。

長女は、小学1年生、
彼女もクロールで、ばりばり泳ぎます。
小学校に上がる前に、一日で25M×10本を泳ぎきっていました。

そんな彼らも、当然最初から泳げたわけではありません。
彼らは、よく頑張りました。溺れかけたことも、泣けちゃうときもありました。

そして、私も
彼らが、泳げるように
「こうしなさい」と指導したり、
「うまいねエ」とほめてみたり、しました。
・・
・・・・「指導」と「応援」を使い分ける。

子供は、気分屋です。
その日の彼らが、のりのりでやる気があるときは、「これをやってください」と指導し遠慮なく押しつけることができます。
それでも彼らは、やる気を失わずに続けます。

逆に、その日ののりが悪かったり、何かで自信を失っているときには、「お!、うまいね〜」と応援してやる必要があります。
また、難しいことをするときや、なかなかできるようにならないときには、失いそうになるやる気を応援してあげます。

また、
一人はバリバリでも、もう一人はいまいち、という日には、
別々のスタイルが必要になります。(アシュラマンのように(笑))

子供に何かを教えるときには、
ある程度、指導(断定)することも
ある程度、応援(受容)をすることも必要です。
どちらかだけではいけません。

「これは、こうしなさい」、
「ここはいけない」
と指導(断定)ばかりでも、


「お!上手にできているよ」
「いいぞ」
と、肯定(応援)ばかりでも、いけませんね。


使い分けなければいけませんね。

教育や指導のスタイルというものは、
本来、使い分けるものであるといえます。

相手次第

そうやって、自分自身の教育のスタイルを
そのときの相手の状況や取り組むことの難易度によって使い分けをする。

教育も、コミュニケーションの一部であると考えると、
「相手次第」
当たり前のことですが、ときとして、忘れてしまいます。

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この記事へのコメント

1. Posted by Kです   2010年05月02日 07:58
Kです。

やださんの指導方法で、
「なるほど! こういう方法があるんだ! さすが!」
と思ったことがありました。

ある時、私がやださんに相談した時、
やださんからは、 自分の考え方や、こうすればよい、
といった、私の期待する言葉は、一言もかえってきませんでした。

ふん、ふん、と私の悩みにただ頷くだけでした。

しかたなく、私は自分で分析しながら
ああだ、こうだ、と言っているうちに
なんとなく解決、、、

なるほど!
こういう指導もあるんだ! と気付きました。

それ以来、
私もその手法をパクって
使わせてもらっています。




でも、、、後日、
ひょっとして、やださんも
あの時、どう答えてよいのか、わからなったのでは?
と、頭をよぎったのですが、、、

どっちだったんでしょうかね?
やださん!
2. Posted by Kです   2010年05月02日 08:18
Kです。

訂正します。

> ふん、ふん、と私の悩みにただ頷くだけでした。

だけではなく、さらに、
私が自分自身で答えを導きだすかのように
やださんは、適切に私に質問をしてくれました。

3. Posted by yadaです   2010年05月06日 11:42
Kさん、書込みありがとうございます。
連休はゆっくりされましたか。

そんなことがありましたね、
基本的に、相手によってスタイルをつかい分けています。
その道でそれなりの人に対しては、私が言えることはほとんどありません。
「答えは、その人の中にある!」です。
その手伝いをするだけ。

か、

本当に私も解らないか
・・・あのときが、どちらかは解りませんが(笑)

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